【推し活の落とし穴!?】「推し」があなたの健康と“本質”を見えなくする?
皆さん、こんにちは! 新潟市で21年間、ボディケアグリーンズという整体サロン&パーソナルトレーニングジムを経営している整体師の森田です。
アイドル、俳優、アニメキャラクター、スポーツ選手…。「推し」がいることで、日々の生活に潤いや活力が生まれ、経済も活性化する、素晴らしい文化だと思います。私自身も、心を揺さぶられる作品や才能に触れると、深い感動を覚えます。
しかし、この「推し文化」が、時に私たちの「本質を見極める力」や、ひいては「心身の健康」に、意外な影響を与えているかもしれないと、私は感じています。
今日は、この「推し文化」が抱える問題点と、それが私たちの人生、特に健康にどう繋がるのかについて、深く考察していきたいと思います。
「推すこと」自体が目的化する危険性
「推し」がいることで、日々のモチベーションが上がったり、共通の趣味を持つ仲間と繋がったりと、ポジティブな側面はたくさんあります。しかし、時に「推し」という言葉が、本来の意味から少しズレてしまうことがあります。
1. 作品と「本人」の境界線が曖昧になる
例えば、素晴らしいピアニストの演奏を聴いた時、私たちはその「演奏」に感動しますよね。小説家の作品を読んだ時、その「物語」や「思想」に心を打たれます。本来、才能は「作品」に宿り、私たちはその作品を通じて才能を享受するはずです。
しかし、「推し文化」では、作品と作り手本人との境界線が曖昧になることがあります。ピアニストの演奏と本人、小説家の作品と作家本人。これらは繋がってはいるものの、異なるものです。
「その人の演奏が好き」から「その人が好き」になり、最終的には「その人がいるだけでいい」という状態に陥る危険性があるのです。
2. 「推すこと」自体が目的化し、作品が“副産物”に?
「推す」という行為そのものが目的になってしまうと、本来主役であるはずの作品が、「推し」の副産物になってしまうことがあります。
「推しが関わっているから、この作品を見る」 「推しが出ているから、この商品を買う」
もちろん、それがきっかけで素晴らしい作品に出会えることもありますが、もし作品そのものへの深い理解や感動が二の次になってしまうとしたら、それは少し寂しいことではないでしょうか。
本来、才能は作品に十全に込められるべきであり、個人に向かう熱量が作品に十分にデリバリーされなかった場合、「デリバリー側の失敗」と見なされることさえあると指摘されています。
3. 言葉や人間性が「漂白」される危険性
「推し」の存在が大きくなりすぎると、「その人が何を語っているか?」「その方の真意は?」といった言葉の内容が薄れ、「その人がいるだけでいい」という状態に陥る危険性があります。
これにより、言葉が「漂白」され、その後に人間そのものが「漂白」されかねません。「その人だったら何でもいい」「何を考えていようと、それでもいい」という状態は、本来的な才能や魅力を十全に伝えられず、むしろ逆方向に進んでいる可能性があるのです。
これは、政治の世界でも見られます。政治家は本来、政策や政治信条に共感してほしいはずなのに、「人間として推せる存在になってほしい」という「本人を好きになってもらわないといけないハードル」が生じ、これが選挙戦を難しくしている現実があります。
「推し文化」が抱える、社会的な課題
この「推し文化」は、個人の生活だけでなく、社会全体にも様々な課題を投げかけています。
- 政治活動における本質と人気獲得の葛藤: 政治家が政策ではなく、自身の「推せる」人間性を前面に出さなければ選挙を戦えない現状は、虚しさにつながるとも言われています。一部の政治家のように推し的なニュアンスで応援する人がいることは、政治に興味を持つ一つの入り口にはなり得るものの、本来伝えたいことと混濁しないよう切り分けるべきだと考えられています。
- 「推し文化以外」での才能伝達の困難さ: 「推し文化」がこれだけ広がると、それ以外の方法で才能を推し進めることが難しくなると悩む声も聞かれます。作品そのものの魅力で勝負するのではなく、「アイドル性」のような付加価値が求められる傾向があるのです。
- チームや目的への支持の希薄化: 本来応援すべき「チームが目指したもの」ではなく、「〇〇さんと△△さんの夫婦を推します」といった、個人的な関係性や表面的な属性への応援に終始してしまうケースもあります。これは、本来伝えたいことと混濁しないかという懸念を抱かせます。
- 「握手券」のような付加価値への誘惑: 活字業界においても、アイドルのように「握手券をつけようかな」という気持ちになることがあると言われており、作品そのもの以外の要素で魅力を伝えようとする誘惑があることを示唆しています。
あなたの健康も「本質」を見極める!
「推し文化」は経済を回す素晴らしい側面も持ちますが、個人の才能や作品の本質的な理解を深めるためには、「推すこと」自体が目的化せず、言葉や内容、そして作品そのものへの深い関心を促すよう、意識的なバランスと努力が求められると言えるでしょう。
これは例えるなら、料理人が提供する料理そのものの味や哲学ではなく、料理人のパフォーマンスや人柄だけを消費するようなものです。もちろん、人柄も魅力の一部ではありますが、本当にその料理の奥深さを理解するには、食材や調理法、そして料理に込められた想いを味わうことが不可欠です。
私たちの健康も、これと全く同じです。
- 「流行のダイエット法だから」
- 「あの有名人がやっているから」
- 「手軽にできるから」
といった表面的な理由だけで、自分の体にとって本当に必要なことを見失っていませんか?
本当に大切なのは、あなたの体が今何を求めているのか、どんなバランスが崩れているのか、そしてどんなアプローチがあなたの体質やライフスタイルに合っているのかを、「本質的に理解すること」です。
ボディケアグリーンズでは、流行や表面的な情報に惑わされることなく、お客様一人ひとりの体の声に耳を傾け、根本原因を見つけ出すことを大切にしています。
「一時的な効果だけでなく、根本から健康になりたい」 「自分の体に本当に合ったケアを見つけたい」 「情報過多で何が正しいか分からない…」
もしあなたがそんなお悩みをお持ちなら、ぜひ一度、ボディケアグリーンズにご相談ください。 私たちは、あなたの体が持つ「本質的な力」を引き出し、健康的で充実した毎日を送るお手伝いをさせていただきます。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。 あなたの健康と笑顔のために、全力でサポートさせていただきます。
整体師 森田 ボディケアグリーンズ 代表