罰当たりな考え方

モリタ家では

毎年

正月になると

近所の白山神社へ

家族みんなで初詣に行きます

今年は息子が受験目前で

風邪ひいたりしたら困るので

一人留守番でしたが…

 

今年も

いつものように

去年買ったお守りを焼いてもらって

そのあと参拝して

また新たなお守りを家族一人一人に

商売繁盛のお札を各店舗に買ったのですが

お守りの販売所を見ていて

はたと気づきました

 

あれ?

毎年同じデザインのお守りを

何も考えずに買ってるけど

これは果たして新たに作ったものだろうか?

大量に売れ残るであろうお守りやお札を

わざわざ廃棄して

全く同じデザインのお守りを新たに作る

そんなことあるんだろうか?

そんな無駄なことするか?

しないよねたぶん

だとすると

買う側としては新たな気持ちで買っているけれど

実際は去年の売れ残り

下手したら2年前、3年前の売れ残りを

買わされてるんじゃないだろうか?

と思い立ったわけです。

 

いやいや

ちょっと待って

 

お守りってそういうことじゃないでしょ?

一年守ってくれたんだから

守ってくれたことに対するお礼であり

またこれからも守ってもらうために

そのサービス料として払うってことでしょ?

お守りそのものの物質的価値=料金ではないでしょ?

 

まあ

そうなんでしょうね

そういうことで納得すべきなんでしょう

 

でも

もう一つ

もっと根強い疑問があります

 

賽銭で儲けて

ご祈祷で儲けて

お守りで儲けて

お札で儲けて

おみくじで儲けて

屋台で儲けて

そうやって儲けることには問題ないし

いくらでも儲けてもらって構いません

 

たださあ

税金払ったってよくない?

 

だってね

こうやって寒い中

初詣に来てる大勢の人たち

1500円の商売繁盛のお札買ってる人たち

このしがない地方都市で

どれだけ苦労して利益あげてますか?

 

苦労して利益あげて

その上さらに

所得税払って

市民税払って

法人税払って

その税金で

学校や警察や消防や役所や議会や医療や介護や図書館や体育館や道路や水道や下水など

ありとあらゆるものが運営されて

さらに

お金に困って生活できない人たちに支給されて

そうやって

どうにかこうにか

我々の暮らしは成り立ってるのに

なぜ宗教法人は無税?

 

と思ってちょっと調べて見たら

実は

お守りやお札やおみくじは

賽銭やご祈祷と違い

物品販売なので所得税はかかるみたいです

 

なんかちょっとホッとしました

 

でも

こんな不埒な考えもった私が

神様に守られるはずないよな〜

って

やっぱり悶々とするのでした。

神道ファンの皆様ごめんなさいbodycare GREENS モリタ